東京・六本木の国立新美術館で建築家・安藤忠雄氏の大規模な展覧会「安藤忠雄展-挑戦-」が開催中だ(会期は12月18日まで)。安藤氏は独学で建築を学び、「世界のANDO」と呼ばれるまでになった。建築関係者だけでなく、経営者や文化人にも、安藤氏から大きな影響を受けている人が多い。その一人である三宅一生氏に安藤氏の“すごさの理由”を語ってもらった。
■すぐに作品を理解
安藤(忠雄)さんと初めて仕事をしたのは1989年。草月会館(東京・赤坂)で開催した陶芸家ルーシー・リーさんの展覧会だ。私が企画し、会場構成を安藤さんにお願いした。
英ロンドンの小さな書店でルーシーさんの作品集を偶然見つけ、「こんなにキリッとした美しさがあるのか」と感動し、友人を介してすぐに会いに行った。彼女はものすごく繊細で力強く、完璧な、使えるオブジェをつくる人だった。
安藤さんはすぐに作品を理解し、「これはガラスの中に入れたらあかんで。手を伸ばせるところに置かないと。水の上に浮かべよう」と言った。ルーシーさんの質素な暮らしや揺るぎない姿勢は、安藤さんと似ているところがあるのだと思う。陶器の展覧会としてあれ以上のものはない、画期的な展覧会だった
■デザインミュージアムの必要性唱える
その前年、米ニュージャージー州にあるラトガーズ大学での講演会に、日本から安藤さんと共に呼ばれ、彫刻家のイサム・ノグチさんが聞きに来てくれた。ノグチさんはその頃、ニューヨークのペースギャラリーで展覧会を開催しており、安藤さんと一緒にギャラリーを訪れた。そのときに3人で「日本にはデザインミュージアムが必要だ」と話し合ったのが、「21_21 DESIGN SIGHT」の始まりだ。
その後、田中一光さん、倉俣史朗さん、柳宗理さん、小池一子さんなどに輪が広がり、2003年、朝日新聞に「造ろうデザインミュージアム」と題する文章を寄稿したところ、大きな反響があった。そして三井不動産の皆さんをはじめ多くの方々との出会いを通じて企画が本格的に動き出し、07年のオープンに至った。
■手編みのような緻密な配筋
皆で東京ミッドタウンの敷地を見に行ったとき、安藤さんは「ここがええ」と一番難しい角地を選んだ。その背後には、ヒマラヤ杉がたくさん植えてあった。安藤さんはものの距離感を見事に捉える人だと感心した。
着工後は建物ができていく過程が面白くて、週に2、3度は現場を見に行った。配筋の様子はまるでニッティングマシーンか手編みのようで、「こんなに緻密につくるんですか」と職人に尋ねると、「安藤さんの仕事をするのは最高の喜び。安藤さんが求める以上の仕事をしたい」との返答。職人たちが仕事を誇りに思える建築をつくれる人は、安藤さんをおいて他にいないだろう。
完成した建物は独創的な造形で、屋根は1枚の巨大な鉄板が折れ曲がり、地面に向かって傾斜する。大半のボリュームを地下に埋め、その地階の中庭から空を三角に切り取って見せるところなど実にうまい。安藤さんは建築の可能性を知り尽くしている。夢もあり、とにかく飛び抜けている。建物の中で人がどう動くのかもきちんと考えていて、真の建築家だ。
安藤さんから電話をもらうと、次にやるべきことが浮かんでくる。そして安藤さんに会うといつも、「何かをやろう」という話になるのだ。
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